倫理のよくわからなさ

 ウィトゲンシュタインは倫理をとても大事なものだとしていた。さらには、倫理は語りうるものではない、とも言った。

 語りうるものとしての「論理」

 語りえないものとしての「倫理」

 自らの言語の限界が世界の限界であり、その外側には語りえないものが広がっている。

 ということは、倫理というものは自らの外にあるということになる。

 そうかもしれない。

「常識的に考えてそれはいかんでしょ」と安易に言ってしまえる。しかし、「なにが常識か」「なぜいけないのか」などを考えると非常に難しくなる。

 とてもセンシティブな、堕胎についてどうなっているかみてみる。

日本産婦人科医会発行の指定医師必携には、母体保護法による人工妊娠中絶について記載があります。そこには人工妊娠中絶の適応などの説明とともに人工妊娠中絶後の注意と指導の項目に、排出内容とくに胎児の取り扱いは慎重に行う事として明記してあります。その中には、妊娠12週未満の胎児は、指定医師が処置することになっているが、これの処置は特に留意し、粗雑に陥らぬように注意する。妊娠12週以後の排出胎児は死産届による埋葬許可書をとらせ火葬させる。人工妊娠中絶実施後の妊娠12週未満の死胎児を含む胞衣の取り扱いについて、各都道府県の胞衣取り扱い条例の有無に拘わらず、分娩や自然・人工流産に伴う胎盤などの取り扱い、とくに妊娠12週未満の場合の子宮内容物についても、これをすべて胞衣の一部として処理することが必要であり、胞衣取り扱いを許可されている専門業者に委嘱して丁重に処理すべきものである。として、いわゆる胞衣の取り扱いについて示しています。

12週未満の妊娠中絶胎児の取り扱いについて

 わかりやすく箇条書きにすること以下の3つが書いてある。

・妊娠12週未満の胎児は、指定医師が処置することになっているが、これの処置は特に留意し、粗雑に陥らぬように注意する

・妊娠12週以後の排出胎児は死産届による埋葬許可書をとらせ火葬させる

・人工妊娠中絶実施後の妊娠12週未満の死胎児を含む胞衣の取り扱いについて、各都道府県の胞衣取り扱い条例の有無に拘わらず、分娩や自然・人工流産に伴う胎盤などの取り扱い、とくに妊娠12週未満の場合の子宮内容物についても、これをすべて胞衣の一部として処理することが必要であり、胞衣取り扱いを許可されている専門業者に委嘱して丁重に処理すべきものである

 ということで、妊娠12週未満であろうが、妊娠12週以後であろうが、どちらも特別な取扱いをしなければならないとしている。

 なぜだろうか? なぜ医療廃棄物として捨ててはいけないのだろうか?

 私たちはこういう問いを立ててもすぐに「あかんに決まってるでしょ」と言うだろう。しかしなぜ「あかん」のか、明晰に説明できる者はいない。

 ここに倫理のよくわからなさがある。

 倫理とはなんのためにあるのか?

 最低限「人間」であるため。人間を「人間」として留めておくためのもの。

 そのようなものの気がする。

 しかし人間は、ときにとても簡単に倫理を逸脱してしまう。「人間」とはそれほどまでに脆いものなのだろうか?「人間」とはそれほどまでに言語で捉えがたいのだろうか?

 そうかもしれない。

 だからこそ人間がかろうじて「人間」でありうることを重く受けとめたほうがいいのかもしれない。しかしそれが幸せなのかどうかはわからない。倫理を逸脱する人間がいなくなれば、たしかに幸せな世にはなりそうな気がするが……。